留学した人、集まれー!

留学した方に、留学で楽しかったエピソードを聞いてまとめました。これから留学を考えている方のお役に立てたらうれしいです。小学生留学も参考になるかと思いますので、合わせてどうぞ!

中国の上海へ留学していました。

大学の本科への入学のため、計4年間学生生活を送りました。 初めは学校の寮で暮らしていましたが、半年後からは、友人とアパートを借り、シェアしました。 言葉も全く話せない状態からの中国での暮らしは楽な物ではありませんでした。 当時は日本食なども少なく、食中毒で入院した事もあります。油っぽいものを受け付けず、ジャガイモとキャベツを茹でて食べていたこともありました。 でも今では、言葉も日本語と比べても遜色ないほどになり、留学して良かったと感じています。特に今の上海は、日本より都会ですので、とても快適です。

英会話の上達のためと

国際交流のためにオーストラリアのブリスベンの近くの静かな町にホームステイをしました。期間も長くはなかったのですが、ホテルと違いホストファミリーの家から学校に行き、またホームステイ先のお家に帰り朝から夜まで英会話から逃げられない生活はつらかったけど本当にヒアリングだけはうまくなったのが自分でもわかりました。また、現地の友達がオーストラリアならではの場所に休みのたびに連れて行ってくれて、気にかけてくれるのが本当にありがたくて、人とコミュニケーションをとることが前より楽しく素敵なことなんだなと思うようになりました。

私はアメリカにある大学を受験して、

高校を卒業してすぐに渡米しました。現地のアメリカ人にとってもレベルの高い大学だったので、高校時代に英会話は習っていたものの、英語が完璧でないせいで大学はじめの頃は授業に付いていくのが大変でした。アメリカ人は損する相手と分かるとあまり授業でグループを組みたがらないので、最初は外国人というだけでひとりでした。私は負けず嫌いだったので、がんばってディーンズリスト(成績優秀者が載るリスト)に名前が入るまでがんばり、自分の学科では常にトップで居続けました。そのおかげでクラスメートも頼ってきてくれるほどになりました。 私が渡米したのはテロ事件直後で、アメリカのど田舎に住んでいたためアジア人が少なく、道ばたやショッピングモールなどで差別的な扱いを受ける事もあり大変でした。しかし日本文化がだんだん馴染んでいくにつれて差別もなくなっていきました。 勉強も遊びも生活も大変でしたが、全力でやりきったのでとてもいい思い出です。

私は大学時代にスペイン語を学んでいましたが、

大学時代は真面目に勉強しなかったことが後悔に繋がり、社会人になってからスペイン語を習得したいと、意を決してスペインのバルセロナへ旅立ちました。初めての長期滞在は、自分の行動は全て自分の管理なので、毎日気を張って過ごしていました。言葉の壁は大きく、しかし言葉がわからないと、相手にされないという屈辱感。自分の殻を破るのにとても時間がかかりました。その分殻を破れた時、他の国の友人ができると大きな自信になり、言葉もどんどん上達していきました。接してみると、人は皆温かく、言葉が通じた喜びは忘れられません。そして、この留学で世界中に友人ができ、今では私の財産となっています。

オーストラリアのケアンズ

(当時の目的)どの国にいっても、その場で円滑なコミュニケーションができるような人になりたかったから。 大学2年のときに、短期留学をいたしました。 元々日本でも英会話教室に行っていたため、「留学をするため」の勉強はいっさいせず、海外に行ってしまいました。 そのためか、いざケアンズにつき、スクールに通うと全く自分が話せないことに気づき、向こうで焦っていた&後悔をしたことを今でも忘れません。 また当時の自分の目的もとても曖昧であり、 留学中に結局何を取得したかったかということも全くなかったため、もし留学に行くのであれば、「明確な目標」及び、「留学に行く前の勉強」は必ずした方が良いと思います。 ただ、結果として、耳がなれ、また毎日英語を聞いているため、 留学前よりもやはり話すことはできました。 また、留学経験があると、海外旅行も怖くなくなります。 (海外のトラフィックになれた…と言ったところでしょうか) 海外留学は安いものではないですし、時間もとても使うものなので、「目的」及び「目標」をしっかりたて、臨むべきだと心から痛感しました。

大学で中国語を専攻していたため、

中国の上海へ留学しました。中国は基本ホームステイではなく寮のため私も寮での生活でした。中国の方は中国語がわからないからといってゆっくり話してくれる訳でもなくれる早口なため聞き取るのがすごく大変で苦労しました。寮での生活だったのでいろいろな国の人がいてその国々の言葉や生活習慣も知ることができ、いろいろな国の友達を作ることができた。しかし、共通語として英語を話してしまい、なかなか中国語を話す機会がなかった。

オーストラリアのメルボルンに

高校生の子どもを連れて留学しました。純国産英語を英語の本場で試してみたかったからです。オーストラリアは予算の都合で選びました。  長く勉強してきたのである程度英語には自信があり、大学院の講義も良く理解できたので順調な滑り出しかと思いきや、日常英語にとても苦労し、最初はとても落ち込みました。道を訊けても答えが聞き取れないし、英語がパッと出ないと答えるのを待ってくれないし、2 sugar (砂糖2杯)などの簡単な口語も知らないのでとつとつと注文しているとどんどん割り込まれ地元の洗礼はきつかったです。 メルボルンは長く住んでいる移民も多い都会なので、外国人であっても英語のできない人には容赦ないという印象でした。  教授の英語はいわゆるスタンダード英語で明確ですが、地元の人が皆、口を大きく開けてはっきりした英語を話してくれるわけではないという事がよくわかりました。大変でしたがそれだからこそ行った意味はあったと思いました。

私が体験した留学は

高校で実施されている交換留学で期間はわずか2週間のものでした。留学先はオーストラリア。主にはブリスベンに滞在しました。オーストラリアに着いてすぐお世話になるホストファミリーの元へ行きその家族と過ごしました。当時高校生で英語がスラスラ話せるわけではなく正直ずっと緊張していましたが、ホストマザーがとても優しくすぐに緊張は解れました。平日はオーストラリアにある姉妹高校(??)に行き勉強、休日はホストファミリーとコアラやカンガルーのいる公園やショッピングセンターなどに行き、オーストラリアの文化に触れたりその地の生活を実体験しました。期間は短かったですが、濃厚な時間を過ごせたと思います。

アイルランド共和国へ美大留学しました。

日本の大学では史学科卒業で、この国の歴史を勉強したのですが、「アイルランドの風景を描きたい」という強い願望があったからです。必要な資格を取得して、ようやくダブリンに到着しました。ところが、かの地で初めて秋―冬(いわゆるオフシーズン)を経験した所、日照時間の少なさから深刻な季節うつを患ってしまいました。大学の課題など、勉強ひとすじに打ちこみすぎて、ストレスのはけ口がなかったのも要因です。欧州の気候は日本と全く違いますので、あまり軽く考えずに注意することも必要です。

韓国ソウル市へ1年間語学留学に行きました。

有名大学内にある外国人専用の語学教室に通い、基礎から韓国語を勉強しました。 当時は韓流ブームなどまだ気配もない頃でしたが、その教室には入門から上級者まで全てのレベルにおいて最も多かったのが日本からの留学生でした。 祖国の言葉を学びに来た在日韓国人も多かったのですが、純粋に韓国や韓国語に興味を持ってやって来た日本人もかなり多かったです。 日本語が通じる安心感から、日本から来たもの同士で固まってしまい、せっかくの国際交流できる環境を活かせない人も多いようでした。 アジア人よりも欧米人を尊重する光景は、日本でもまだまだ残っているかもしれませんが、韓国でもやはりそういうことがありました。 学校には立派な留学生のための寮があり、学生は格安で入寮できるのですが、実際には欧米人学生以外は門前払いです。 日本を含むアジアからの学生は自力で下宿やアパートを探していました。 「私は日本人や在日韓国人よりも欧米人に教えたい。」と教室でハッキリ言う先生に驚きました。 別の先生は日本人留学生と話している最中に欧米人留学生が側を通り過ぎると、まだ話が途中であるにもかかわらず「ハーイ!ジュディ!」と言いながら笑顔で欧米人に近づいて話しながら二人でどこかに行ってしまったりと露骨でした。 意識が高いはずの大学の先生方ですらこれですから、街中の一般の人々の様子は推して知るべしです。 しかし彼らは口ではアメリカは嫌い、ヨーロッパも大したことはないと言います。やっぱり韓国が世界で一番だと。 愛国心なのか卑屈な心の裏返しなのかよくわかりません。 留学生として暮らしたことで、観光地で愛想よく対応してくれるガイドや販売員からは図れない韓国人の心の一部を見ることができました。

小さい頃からピアノを続けていて

ヨーロッパに音楽留学するのが昔からの夢でした。大学入学時に卒業後はオーストリアへ行く!と決め頑張りました。ですが、大学卒業後いざ行くとなると不安なことばかり。オーストリアへ留学するにはドイツ語の試験に合格しなければ、音楽大学への入学試験も受けることができません。私はこの試験になによりも苦労しました。どうにか合格したのも入試の直前。入試は無事合格することができ、次は住むところに悩まされました。寮は既に空室がなく、他にどこに住めばいいのかわからず最初の2週間はホテル暮らしでした。偶然インターネットで空室を探していたところ、住みたかった寮の子が突然出ることになったため次に住む人を募集していました。日本では有りえないことなので、不安でしたが家探しに必死だったので、すぐにコンタクトをとり部屋を見に行きました。問題もなさそうだったので、1週間後から住めることに。進まないときは進まなく、進むときはとんとん拍子に進む、そんな留学生活だったと思います。住居が落ち着いてからは、たくさんヨーロッパの景色を見て作曲家が感じたもの、見たものを私も体感しようと思い、電車で小旅行を度々しました。ヨーロッパは電車の制度が充実していて、学生には嬉しいお得な料金がたくさんあるので、安く旅行ができるのです。そのおかげで、オーストリア国内に限らず近隣のイタリア、ドイツも満喫することができました。ただ普通の道を歩いているだけでも感動してしまうヨーロッパはイメージ以上に私に感動を与えてくれました。自然を大事にするヨーロッパ人。週末は公園でのんびりしたり、ハイキングしたり自然と触れ合うことが多く、とにかく散歩が好きです。最初は日本人からしてみれば、なぜそんなに散歩をするのか、と思いましたが、留学して3か月経った頃にはすっかり私も仲間入りして散歩が習慣になっていました。景色を見ることも楽しいし、街の人との触れ合いも素敵な出会いがたくさんあるのです。日々感動だった留学は、確かに私の人生を豊かなものにしてくれました。

イギリスのロンドンへ学生の時に短期留学に行きました。

目的はホームステイで、海外の文化にふれたかったからす。ロンドンの古い町並みは、日本とはまるで異なり、レンガでできているものがおおいし、築50年以上のアパートが当たり前にたっていて、賃貸アパートの契約は数十年の単位で行われるそうです。非常に落ち着いていて、静かな、上品な町並みでした。ただ、日本にはない、人種差別意識が非常にねづよいようにも感じました。ロンドンでビジネスをする場合は、そのようなことはあまりないようですが、日常の中では、スーパーや駅など様々なところで、差別されているという雰囲気を感じました。また、室内を靴で暮らすこと、入浴の頻度や食事などとても質素な国民性の国でした。

30歳になる頃、周りからは今から留学?と

言われたが私にとっては年齢は関係なくずっとやりたかった語学留学1年間を行った時の経験です。本当は空港でのグラウンドホステスになる為に英語力向上で留学へアメリカのサンフランシスコ郊外バークレーへ行きました。1年間いくつかのホストファミリー宅で生活をしようと思い念の為日本で留学エージェンシーを通し学校、滞在先、VISA手配をお願いしました。 2月渡米翌日からバスで学校へ登校です。勿論日本人の生徒もいますがインターナショナルの生徒も世界からきておりなるべく日本人だけつるむということはやめようと心掛けていました。日本での授業とは全く雰囲気も事なり本当に毎日がパラダイスのように楽しかったです。あっと言う間に1年でしたが周りの環境に大変恵まれ皆に感謝です。

高校卒業後にカナダのバンクーバーへ留学しました。

中学や高校の時の英語の成績は特別良いわけではなく、平均的でしたが、英語というものに興味を持っていて、喋れるようになって外国人とコミュニケーションを取りたいと思い、留学を決めました。 最初は2か月の短期留学の予定でしたが、実際に2か月では何も身につかないと思い、延長して半年ほどいました。 最初は全く話せなかったので、ショッピングモールに行ってマクドナルドを食べたかったのですが、話せる勇気がなく、泣く泣く諦めた記憶があります。 ただ毎日学校に行き、ホストファミリーと話すうちに少しずつ話せるようになり、会話ができるようになった時、とても嬉しく楽しかったです。

オーストラリアへ語学留学に行きました。

住んだ場所は、ホームステイ先のお家です。初日から向こうの家族に盛大に歓迎され、すごく印象が良かったです。フレンドリーと言うか、自分の家族よりも親しく接してもらって、嬉しかったです。ですが、そんな中でも苦労したことがあります。 それは食生活です。始めの三日間はオーストラリアの食事を楽しむことが出来ましたが…、その後は正直日本食が恋しかったです。なんでも出されるものの量が尋常ではなく多かったですから、初め見たときは感動もしましたが、連日となるとちょっと辛かったですね。

オーストラリアのメルボルンに語学留学しました。

日本人だけではなく、アジア人全般に対して人種的偏見はまだまだありました。私が留学していた頃は、メルボルンで多くの移民を抱えていて、それも原因の一つだったと思います。ホームステイしていた学生のなかには、ホストファミリーとトラブルが絶えなかった人も多かったと聞いています。私は幸運にも、アジア人の女性を希望する、一人暮らしのおばあちゃんの家にお世話になりました。家はメルボルンの郊外で、煩わしさもなく、それはそれは自然環境に恵まれたところでした。

オーストラリアのパースに語学留学しました。

目的は英語が話したかったからです。パース市内からバスで20分位の郊外のお家にホームスティさせて貰ってました。ホームスティ先の家族は、ドイツから移住されたそうで、とにかく英語が訛っていて、ただでさえ初級レベルの語学力だったので、大変聞き取りや話すのに苦労しました。でもとてもフレンドリーな方達で、分からないと書いてくれたりして、なんとかコミュニケーションを取って下さいました。週末は少し足を伸ばしてちょっとしたピクニックに連れて行ってくださったり、海が近かったのでよく泳ぎに行きました。海はとても綺麗で治安も良く、私はこの街が大好きになりました。難を言えば食事ですかね。全体的に大味で量が多く、美味しいとは言い難かったです。途中、日本から持って行った醤油を使って肉じゃがを作ったところ、大変好評でした。語学がものすごく上達したかは微妙ですが、私にとっては素晴らしい体験でした。

1998年にアメリカに留学しました。

140万円ほど日本でお金を貯めまして、カリフォルニア州のロサンゼルス市にあるシャーマン・オークスという街で、友人4人とルームシェアしながらLA市内にある無料の語学スクール(当時はアダルト・スクールと呼ばれていました。)に通いました。留学した明確な理由は特になく、漠然としたアメリカへの憧れが相当に強かったからです。音楽や映画を通して憧れたアメリカに飛込みたかった。共同生活は大変でしたが、食事当番などもあり、全てが自由とは行かず不慣れな面も多々ありましたが、今にして思えば最高に楽しいLA生活でした。学校の休み中にグランド・サークル一帯やラスベガス、サンフランシスコなどにも旅行出来たのも忘れがたい青春の想い出になりました。 この時のLA留学が人生で初の海外でしたが、その後ワーホリで、ニュージーランドやオーストラリアにも行きました。今でも英語は上手くありませんが、数年に一度、数か月ほど、アメリカを長距離バスで1人放浪したりします。

ハワイのホノルルに二年間留学しました。

目的はハワイに住んでみたい、英語が話せるようになりたいという気持ちが強く行きました!最初か言葉が通じずなかなか友達ともコミュニケーションがうまくとれず、ストレスを感じることもありましたが、毎日英語を使わないといけない環境に身を置いて過ごし、積極的に英語を使うようにしていました。ネイティブスピーカーの友達と遊んだり、勉強を教えてもらい助けられました。自分で英語の成長を実感できたのは、一年経ってスマートフォン購入、契約を自分一人でできた時です。あと一番の宝物は友達です!もちろん日本人、他の国からの留学生の人々。2年たった今でも繋がっていたり、会ったりします。留学というのは、行くまでは全く想像のつかない経験ができ、海外で生活するというのを含めすごく成長して帰ってこれた気がします。帰国後も英語を使って仕事をさせていただけて幸せです。

イギリス・ケント州カンタベリーに一年間の留学をしておりました。

留学目的は就業のための語学力の向上です。 カンタベリーはロンドンよりもドーヴァー側にあり、自然豊かでまたケント大学という大きな大学がある街でしたので、学生の街として大変賑わっておりました。 しかし学生の街であるがゆえに、住民の方からの目線は厳しく、またアジア人であったためか石を投げつけられたりもしました。しかしカンタベリー大聖堂という歴史的建造物がありまた自然豊かな街であったため、日本とは違う非日常を経験でき常に英語の中に浸りながらの勉学はとても為になり、一回り成長できたかと思います。

カナダへ1年間の語学留学をしていました。

フランス語も学んでいたため、モントリオールへ留学していたのですが、日本人が少なく語学学習にはもってこいの場所でした。 語学学校にいたため、様々な国籍の人が同じ環境にいることがとても刺激になりましたし、モチベーションにもつながりました。 最終日のフェアウェルパーティで、30人以上集まってくれたことはとても感動しました。 苦労した事もいい思い出ですが、やはり出身の国によって考え方が違ったりすることはありました。